続アジア見てある記(58)
中華人民共和国吉林省(3)
アジア光俊
1.延吉行きの車中にて
外はマイナス10度の寒さだったが、どんどん石炭を焚いてくれているおかげで中は極めて暖かい。車内にはお湯を入れたポットがあって、いつでもお茶を飲めるようになっている。中国人はお茶用の蓋付き携帯カップを常に持ち歩いているのだ。
4人用個室の中は、我々日本人2名の他と中国人が2名で、日本人団体客の添乗員をしているという北京から来た女性の方は、流暢な日本語を話す。通路に大勢の日本人がいたのだが、彼女が担当している団体だという。日本人観光客相手だと値段の高い軟臥(一等寝台)にも乗れるし、収入も相当のものである。もう一人は延吉で台湾との貿易を担当する部署の主任というから政府の高官である。軟臥の乗客はやっぱり違う。また延辺朝鮮族自治州に向かう列車だけのことはあって、政府高官の方は朝鮮族である。中国人といっても漢族だけではないのだ。ところが残念ながら4人の共通語はない。従って室内の会話は、中国人同士では中国語、私と朝鮮族のおじさんとは朝鮮語、私と北京から来た女性とは日本語という、3カ国語が飛び交う国際的?なものになった。
雲南省で少数民族であるタイ族の人と話をした時に、彼らは民族の言葉の教育を充分に受けていないことがわかったが、朝鮮族も例外ではないようである。後日、彼から手紙が届いたのだが、つづりの間違いだけでなく助詞の使い方にも間違いが多く見られたのである。特に助詞の使い方などは、朝鮮族の朝鮮語独自のものかもしれないと思ったので、現地の本なども調べてみたのであるが、手紙の表記がおかしいという結論に達した。ここでも朝鮮族の中国化は進んでいたのである。
2.延吉到着
キョンドンボイラと書いてある) |
列車は1分の遅れもなく、延吉駅に到着した。早朝の延吉駅構内では、巨大な蒸気機関車が何両も煙を吐いて仕事に取りかかる準備をしている。列車はこの先、北朝鮮との国境の街である図們まで向かうのだが、ほとんどの乗客がここで降りて出口に歩いて行った。駅の表示は漢字と朝鮮文字であり、中国の端に来たという実感が湧いてくる。当然のように改札口もあるのだが、切符は確認をするだけで返してくれる。旅の記念品が一つ増えた。
駅前は広場になっていて、周囲は食堂や商店が並んでいる。タクシーの客引きも極めて多い。このような連中はふっかけてくるので相手にしないで、正規のタクシー乗り場に向かうことにした。振り返ると延吉駅の駅舎がデンと構えているのだが、駅名の表示よりも目立つ大きな看板が入口の上に掲げられている。朝鮮文字が読めなければこちらの方が駅名だと勘違いしてしまいそうな雰囲気であるが、このような風景も新しい中国の象徴とも言えよう。
中国のタクシーはメーター制で、比較的安心して乗れるような雰囲気がある。乗り場で乗ったタクシーの運転手は漢族の女性だった。女性の進出が著しい中国ならではだ。ところが行き先のホテル名を言うと、中国語で10元(約220円)と返ってきた。早速車を降りて次のタクシーに乗り換える。こちらは朝鮮族男性。メーターを使えと指示すると、若干怪訝そうな顔をしていたが、ホテルに無事到着。料金は5元だった。
3.国境の街へ
ホテルにチェックインして荷物を置いたら、いよいよ国境の街である図們を「探検」する番である。ちょうど良い時間に列車があるようなので、延吉駅に戻り、列車で行くことにした。延吉から図們までは、82km、普通列車で1時間20分の近さである。
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切符売り場には、すでに長蛇の列ができていた。中国で切符を買うのは、列の割り込みなど何でもありだから大変だと思っていたのだが、行儀良く列に並んでいる。近距離で座席指定もないから、我先に買う必要がないためだろう。程なく硬座の切符を入手することに成功した。
列車にはかなりの空席があったから、硬座とはいえ楽である。硬座と書くと、椅子が木でできているような感じを与えるが、日本の電車の普通席と同じである。ただ中国の鉄道車両の方が幅が広いため、片側が4人掛けのボックスシートで、もう一方が6人掛けのボックスシートになっている。
硬座と軟座の最大の違いは客層だろう。車内は禁煙になっているのだが、お構いなしにタバコを吸っている連中が乗るのが硬座で、煙だけでなくしじゅうペッペッやっているのだ。
列車は「満州」の広大な土地を走り抜けるというよりも、山の中を川に沿って走っていく。どちらかというと、日本の田舎を走っているような雰囲気だ。とは言うものの、凍てつく大地に散在する煉瓦づくりの貧しそうな家が建つ風景は、間違いなく中国東北部のものである。
図們に近づくと線路脇に工場が増えてきた。中国の果てとは言え、国境の街は栄えているのだろうか。
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駅を出るときに改札を通るのだが、今度は切符を回収された。近距離だと使い回しをされる可能性があるからだろうか。別の改札口でも回収していたから私だけではない。
駅舎の方は改修が済んだばかりのようできれいである。一方の駅前商店街は古ぼけているし数も少ない。とりあえず国境とは反対側にある図們市場(トゥムン・シジャン)を見に行くことにした。
図們市場は建物の中に入っている、この街で最も大きな市場なのだが、売られている物は食料品が中心である。どこを探しても北朝鮮商品はない。次に中心部の百貨店に行ってみたが、こちらは北朝鮮商品どころか、中国商品も満足に揃っていない。また、ホテルは閉鎖されていたりと、冬で観光客も来ないせいかかなり閑散としている。そこで国境の方に歩き出すことにした。
このあたりでは、トマンガン(豆満江、中国名=図們江)が北朝鮮との国境になっている。川岸近くでは大学生らしき一団が体操をしているが、国境地帯だというのにその姿には緊張感は全くない。こちらはわざわざ国境を見に行こうとしているのだから、期待と不安が高まってくる。彼らの横を通り抜け、川沿いの道に出ると、そこには中朝辺境の赤い文字が。河の向こうには人影がない。また、森林伐採のせいだろう、山はほとんどはげ山になっている。河に沿って南に行くと橋があるので、そこまで行けば何かしら発見できるかもしれない。
4.国境で触れる北朝鮮
(右の中国よりに国境の色分け部分がある。 赤が中国、青が北朝鮮) |
中朝両国を結ぶ橋は、中国側が赤、北朝鮮側が青で塗られている。河の部分は青く塗られているから、全体として青の割合が多くなっている。橋には税関があるのだが、門が閉じられており休業状態。しかし監視の兵士は氷点下10度の中で番をしている。
さらに歩いて行くと、観光客向けの土産物屋が4〜5軒並んでいる。まず探したのはキムイルソンバッジである。すでにいくつか持っていたのだが、おみやげにもなるし声をかけてみることにした。するとどこでも外国向けの小型のものと、「青年前衛」なる文字が入った小型の旗型のものが出て来るではないか。これは全て新品である。工場から大量に横流しされている可能性が高い。一方、最も一般的な丸形のものはほとんど売られておらず、数少ない「商品」は、ピンの部分がなかったり、傷が付いている物ばかりだ。一方で丸形の新品も発見した。最初は「新しく作られている物」だという説明をしていたのだが、作りや印刷の違いを指摘すると店の方もついに偽物だということを認めた。またキムジョンイル・バッジも出回っているのだが、こちらの方は作り方が中国のバッジと全く同じであり、一目で中国製だとわかる作りだ。
バッジが流れて来るのであれば、他に珍しい物があるはずである。ここで発見したのは勲章やメダルだ。北朝鮮では「国旗勲章」という勲章が授与されることがある。さすがに国旗勲章1級はなかったが、2級と3級は入手できた。五角形の星のような形をしていてかなり大型、かつ、重量がある勲章だ。北朝鮮の式典などを見た方は知っていると思うが、市民(実際は党幹部)や軍人が体の前面にたくさんくっつけているやつである。リボンの略章も付いているが、目立つことに意義があるので略章を着けている姿は見たことがない。日本の勲章のように五角形のリボンの下に円形の金属がぶら下がっているものはメダルと呼ばれる。ここでは軍功メダルとか農業功労メダルなどが見つかった。勲章の下に位置付けられるが、勲章と共にぶら下げられているのを見かけた方も多いだろう。こちらにも略章が用意されているから、「メダル」と呼ばれていても価値のあるものなのだ。
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他に切手やお札が売られているが、お札はヤミ両替をして入手した物をおみやげ用に100ウォン、50ウォン、10ウォン、5ウォン、1ウォンの5種類をセットにして販売する。札束に含まれているお札の多くは100ウォンと50ウォンだ。小額紙幣は枚数が少ない。また額面によって傷み方が極端に違う。高額の100ウォンや50ウォンが新品同様なのに対し、10ウォンと5ウォンのきれいな物はほとんど出回らない。このことから、10ウォンと5ウォンの使用頻度が極めて高いことがわかると共に、インフレのために高額紙幣を刷り増していることがわかる。100ウォンと言えば、労働者1ヶ月分の給与に近い額で、公定レートでは約50USドルにもなるのだが、実勢レートでは約60セントにしかならないのだ(98年6月には、ラジン・ソンボン経済特区で、1USドル=200ウォンというレートで交換し、兌換券の使用を廃止するという実験的な措置を講じている)。
北朝鮮でいう配給とは、安い金額で物資を購入することができる「権利」のことであり、配給の価格は極めて安い。5ウォンとか10ウォンで充分買い物ができる。必要なだけ配給が受けられるならば「地上の楽園」と言ってもいいかもしれない。しかし実際には配給が受けられるのは党幹部だけである。
物資の不足している北朝鮮では、一般庶民は中国商品などをやみで仕入れるしかないが、物々交換をするのでなければ、何百、何千ウォンというお金が必要となる。一ヶ月分の給与が化学調味料一袋にしかならないという世界が現実にあるのだ。現在使われている紙幣は92年のものであるが、現在の紙幣に切り替えを行う際に、旧紙幣の廃貨を実施している。ヤミ商売でため込んだお金を無効にして、等しく貧しくしてしまうためだ。反対する市民による暴動が発生したとも伝えられているが、真相はヤミに葬られたままになっている。配給が受けられる幹部にとっては「地上の楽園」だろうが、一般庶民は配給を受けられないから生活していくのは大変なのである。