続アジア見てある記(60)

中華人民共和国遼寧省

アジア光俊

1.瀋陽入り

 延吉の空港は、街中から車で15分程度の距離にあり便利だ。空港には中国製の戦闘機が何機も駐機しており、軍用にもなっていることがわかる。しかし空港ターミナルは、改革開放の例に漏れず新築されており、国際線にも供用できるようになっている。

 ここから遼寧省の省都である瀋陽に飛ぶ訳だが、乗客の間には朝鮮語、いや、韓国語が相当飛び交っている。話からすると、どうも韓国人のビジネスマンらしい。IMF時代に突入した韓国であるが、一頃の勢いは無くなってしまったとはいうものの、まだ活発に活動しているようだ。

 瀋陽空港は、この地域ではハブ空港になっているが、建物も古くなってきておりパッとしない。おまけに市街地から相当離れている。まともに走っても40分、ちょっと市街地の渋滞が発生してしまえば1時間以上もかかる。夕方に着いたのだが、繁華街と言えども例によって主な商店は店じまいをしており、何軒か開いている食堂を探して食事をすることになった。



2.切符の手配で一苦労

タンドン行き切符
丹東行き切符(硬座)

 実は北京の旅行会社経由で、列車の切符を手配してもらうことにしていた。瀋陽から北朝鮮国境の街である丹東へ行く列車だ。ホテルにチェックインすると、チケットが手渡されたのだが、これが全然違う列車の切符であり、しかも翌朝のものだったのだ。翌日はすでに予定が入っており、この列車に乗るわけにはいかない。仮に乗ったとしても、戻りの列車を考えると、丹東で過ごせる時間が極めて短くなってしまうのだ。ホテル側は切符の受け渡しの仲介をしているだけなので、話をしても埒があかない。改めて切符の手配をしてもらうことにした。

軟座車両
丹東から帰る列車の車内
(旧型車両軟座)

 ところがである。翌日の夜ホテルに戻ると、我々が指定した列車は運行されていないので、別の列車にしろとの回答が返ってきた。にわかには信じがたい。我々が指定したのは、瀋陽を早朝の4時に出発する列車で、これは北京から毎日運行しているもの、それも週3回は国際列車としてピョンヤンまで向かうものなのだ。結局手配してもらうことはあきらめ、自分の手で切符を買うべく、翌日の朝早く瀋陽駅の切符売り場に向かった。

 駅には大勢の人がいたが、切符売り場は拍子抜けするほどすいていた。電光掲示板には予約状況が表示されるのだが、目指す27次列車はというと、すでに満席である。しかたがないので「無座」という座席指定のない硬座の切符を買うことにした。満員列車を中国人民と一緒に4時間も揺られていくのかと思うとため息がでるが、後は運次第である。中国で列車の切符を買うのは大変だと言われていたが、効率がよくなったのか簡単に買えたのは幸先がいいかもしれない。



3.朝鮮族商店は韓国商品売店

朝鮮族商店
朝鮮族商店

 瀋陽にも朝鮮族の居住区がある。そこには朝鮮族商店なるものもあったので、商品を調べてみることにした。雑貨や電気製品、化粧品が並ぶ店内は、普通の店と変わりない。違うのは韓国製品が圧倒的に多いこと。それに申し訳程度の北朝鮮商品として、例のビデオやCDが並んでいることぐらいだ。北朝鮮ビデオの値段はここでも150元。価格の統一だけは進んでいるのだ。

 ヴィエトナムでもそうであったが、韓国製化粧品は、大々的に海外で売り出されている。ちょっとお金に余裕が出てくると化粧に目がいく女性心理を突いているのであろうか。しかし実際に韓国製品が売れるとは限らない。混雑している割に、買い物をしている人は少なかった。



4.国境行き特別快車

 早朝(深夜?)にもかかわらず、瀋陽駅前は混雑している。食堂やビデオ上映場の呼び込みも激しい。さて、肝心の入口が問題である。中国では列車ごとに改札が行われるのだが、待合室も分かれており、さらには入口まで列車ごとに違っているのだ。駅の端から端まで歩いてもわからないので、一つずつ訊いて回ったのだが、目的の入口にたどり着くまで10分はかかってしまった。

空調費の切符
待合室
空調費「切符」

 駅舎内の薄暗い大きな待合室にはベンチが並んでいるのだが、列ごとに行き先が表示されている。時間が時間だけに、ベンチで横になっている人が多い。列車の到着時間は3時59分なのだが、直前になってもアナウンスがない。別の入口があるのかと探したが、4時過ぎになって搭乗アナウンスがあり一安心。次は席が確保できるかだ。階段を降りてホームを見ると、すでに列車は到着していた。出発時間は4時14分なのだが、この間に降車した客を整理してから乗車手続きを開始したのだ。混雑回避の方法としては極めてよくできている。

 北京から北朝鮮国境までの1142kmを14時間半で駆け抜ける特別快車の車内は、ところどころに空席もあり、立ちっぱなしは回避できた。加えて幸運だったのは、ここで使われている「新型空調客車」なる車両は、板張りの本当の「硬座」ではなく、クッションのある「普通席」だったことだ。さすがに料金が高いだけのことはある。(料金は旧型車両硬座の1.5倍以上で、旧型車両の「軟座」と同程度。)



5.国境の街−丹東−

タンドン駅
丹東駅

 丹東駅を降りると、正面には毛沢東像が我々を迎えてくれる。まずは帰りの列車の切符を手配するわけだが、順番を待つこともなく買うことができた。帰りは軟座にしたのだが、旧型車両のため、行きの硬座に比べて1元高いだけであった。

 丹東はアムノクガン(鴨緑江)を挟んで北朝鮮のシニジュ(新義州)と向かい合う国境の街である。同じ国境の街である図們と比べて、丹東は対岸が大都市であることや、国際列車も通るということもあってかなり賑やかな街である。

 食堂で腹ごしらえをした後、鴨緑江に向かって歩く。こんなときは、すぐに出入国地点のある橋のたもとに行くよりも、人の少ない周辺部から攻める方が周辺状況や変化がわかっておもしろい。

偉大なチュチェ思想万歳
対岸は北朝鮮
看板には「偉大なチュチェ思想万歳」の文字が

まずは鴨緑江の上流、すなわち北側に位置する鴨緑江公園からだ。図們と同じように、ここでも記念写真屋が出ている。しかし観光客も何人かいるから、こっちの方が商売になることは間違いない。この辺は河口に近いこともあって、川幅は1km近くはあるものと思われるが、写真撮影だけでなく、鴨緑江で船遊びもできるようになっている。1回10元(約180円)は決して安くないが、他の観光客が3人ほど舟に乗り込むようなので、一緒に船遊びをすることにした。舟は10人も乗れば満員になるような小さなモーターボートで、2つの国を結ぶ橋の下をくぐり、北朝鮮側に大きく入り込んで行くではないか。100m位の所まで接近し、少し速度を落としては全速力で離れ、また別のポイントで接近するという具合に、相当スリルのある「船旅」で、10元は安いくらいだ。北朝鮮側には造船所があって、従業員らしき人物が何十人もいたが、溶接などの仕事をしているのは2人だけで、他の人達は何もすることがなくぶらぶらしているのであった。当日は霧がかかっていて、視界が悪かったのだが、「偉大なチュチェ思想万歳!」などの看板が立っているのを確認できた。



6.中朝の出入り口

 出入国地点には、2つの鉄橋が架かっている。1つは1911年10月に竣工した、当時の朝鮮総督府鉄道局のもので、もう1つは「偽満」時期に建設されたものである。後者は中朝友好橋と呼ばれ、現在使われているものであるが、前者は1950年11月から翌2月にかけて米軍用機の爆撃により破壊されてしまった。この破壊された橋だが、市の「文物保護単位」とされ、1993年に観光名所として整備された。さすがに観光名所だけのことはあって観光客もひっきりなしに訪れている。

 橋の周辺では北朝鮮のピョンアン・ブッド(平安北道)の車も時々走っているので、国境の街という雰囲気を味わうことができる。

丸太積載トラック
丸太を積んだトラック

 さて橋を観察していると、北朝鮮側から木材を積んだトラックが走ってくるのを見ることができたが、満載されているわけではない。さらに不思議なのはその木材で、丸太なのだが皮は剥がされており、太さが異様に細いことだ。ここから想像できることは、(1)すでに太い木材が無くなってしまったので、若い木を伐採しなければならなくなっているということ、(2)木の皮は中国では不要だが、北朝鮮では利用価値があるということだろう。一方の中国側からの「輸出品」だが、リンゴやタマネギなどの袋や、調味料の段ボールや工業部品などが混載されており、少量多品種の品揃えになっている。これらの商品は橋の近くの商店で調達されているようだが、人民元でしか購入できないことは言うまでもない。北朝鮮のウォンは公式には他国通貨との兌換性を有していないから紙屑同然なのだが、安いとはいえ闇相場が建っていると言うことは、かろうじて価値を維持しているということか。1ヶ月分の給料(100ウォン)が実勢レートで90円にしかならないから、給料で物を買うことは不可能であり、実際はヤミ商品の横流しやポッタリジャンサ(担ぎ屋商売)、または物々交換で生き延びるしかないのだ。ウォンは北朝鮮ヤミ経済上の不確実な決済手段でしかない。また貿易収支を考えれば、どうしても赤字のはずだが、日本からの送金などで国際収支上はバランスしているとしか考えられない。

 なお、ラジン(羅津)・ソンボン(先鋒)経済特区では、97年6月から1USドル=200ウォンの交換レートを設定し、兌換券の使用を廃止しているから、北朝鮮政府自身も本当のレートを認識していることは間違いない。



7.失敗した特区

 橋の南側、すなわち下流の中国側は「観光特区」に指定されている地区である。ここにはショッピングセンターのような建物がいくつも整備されているのだが、そのほとんどが空き部屋か、会社の看板だけがかかった人気のない事務所で、ほとんど廃墟と化している。中国では経済振興のために、このような特区を地方自治体レベルで指定することが多いらしいが、多くの特区は予定通りの収入があがらす失敗しているという。

 この辺りからは、対岸の造船所や遊園地の観覧車が見えるのだが、クレーンも観覧車もついに動くところを見ることはできなかった。程度の差こそあれ、このあたりの経済はうまくいっていないらしい。



8.買い出しの北朝鮮人

出国を待つ車の列
中国出国を待つ車の列
白いワゴンが北朝鮮の車

 昼食は朝鮮料理屋に入ったのだが、隣のテーブルでは旗型のキムイルソン・バッジを付けた小柄な男性2名と中国人男性2名が食事をしていた。昼からビールを飲んでいるし、料理も数多く並んでいるが、中国で栄養補給と贅沢ができる人達は幸せである。赤い顔をして楽しそうに店を出ていったが、支払いの方は中国人が行っていた。

 食事をしている人だけでなく、街で買い物をしている朝鮮人も時々みかける。袋入りのタマネギやリンゴを買っていく人達だ。ポッタリジャンサ経済の中で、トラック運転手の地位が高いことは言うまでもない。



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