続アジア見てある記(65)

大韓民国(10)

アジア光俊

1.新しい技術の導入

交通カード
交通カード(ソウル)

 ソウルのキョンボックン(景福宮)にあった、旧朝鮮総督府の建物は取り壊され、南側のセジョンノ(世宗路)から見ると、ぽっかりと穴が開いたような空間が広がっているが、通貨危機の影響で速度は遅くなっているとはいえ、間違いなく街の様子は変わっている。

 例えばバスに乗る場合、韓国では50円玉を小さくしたような「トークン」を買って乗るのだが(もちろん現金払いでも乗ることができる)、トークンに代わって非接触型のICカードが使われるようになったのだ。日本ではこのような技術こそ持っているものの、電車やバスでの実用化はいまだに行われていない。99年2月の北海道新聞によれば、旭川で来年4月の本格稼動を目指して、この夏から機械の設置を始めるということだが、日本は遅れているのだ。

 このバスカードの利用法は簡単で、運転席の横にある料金支払い箱に、ICカード検知器がついており、ここにカードをかざすだけで料金が差し引かれ、残額がデジタル表示される。カードを差し込む必要がないために、観察しているとカードを出さないで財布や上着の内ポケットを検知器にかざしていることが多い。このようにカードを出さなくても使えるので便利だ。料金もこの3月に改訂され、現金使用よりも安く設定されている(都市型バスは現金500ウォン、カード490ウォン)。

 どのバスもICカード対応となったわけだが、代わりにトークンが廃止されることになった。この4月からは販売が停止され、99年10月からは使用が禁止されることになるらしいのだ。現在ソウルにおけるトークンの販売所は2500個所。一方ICカードの「充電所(金額補充所)」は1900箇所で、利用者の便を考えると、コンビニなどに金額補充機械を設置しなくてはいけないという指摘もあるが、人件費削減などのために大きな決断をしたことになる。

 このICカードは今まで600万枚が発行されており、現在100万枚が使われているらしい。また当局によると、オシャカになる割合は、販売枚数の1.3%しかないとのこと。しかし1.3%というのは、決して低い率だとは思えない。

 現在100万枚しか使われていないというのは、発行されたカードの多くが故障していたり、紛失していたりするらしく、カードの供給が追いつかなくなってしまう可能性もあるのだ。

 ついでに地下鉄もICカードが導入され、自動改札機の上に、座布団のようなカード検知部が乗っかっている。



2.ジャガイモ革命

帰順者経営の食堂
帰順者(亡命者)経営の食堂

 今回の目的は、ICバスカードを調べるためではない。北朝鮮関連の場所を訪問するのが最大の目的なのである。

 最初に向かったのは地下鉄7号線のサガジョン駅。ここには北朝鮮から帰順(亡命)

してきた一家が経営する北韓飲食店があるのだ。韓国の新聞で紹介されていたこの店。名物はネンミョン(冷麺)とマンドゥ(饅頭=餃子のこと)だという。

カムジャマンドゥ
カムジャマンドゥ

 韓国の新聞をごらんになられた方はわかると思うが、新聞に書いてある地図は、その地域に住んでいる人以外には極めてわかりにくい。単純に目的地近くの目標物が書いてあるだけなのだ。そんな訳で近くに行くまでは、本当にこの辺なのか非常に不安になるのだ。

10分近く探して、ようやく店を発見。入口の脇には「私どもの家族に施してくださった声援と配慮に心から感謝申し上げます。 ヨ・マンチョル家族一同」と書かれた大きな布が張られている。土曜の昼下がりだったが、店内は満員であるから結構儲かっているのであろう。「おしながき」を見ると、8種類しかない。要するにネンミョンとマンドゥの専門店なのだ。

 最近の北朝鮮では「ジャガイモ革命」が進められていると報じられているが、この店のメニューにもカムジャマンドゥ(ジャガイモ餃子)が載っていた。餃子の生地を小麦粉ではなくジャガイモでつくるのだが、飴色で半透明の皮は多少甘味があって、非常においしい。この一家が北朝鮮にいた時に食べていたということだから、地方では今更ジャガイモ革命ではないのである。当然のことだが餃子の中には肉がたっぷり入っていたから、北で食べられる物とは全く違うのであるが、一風変わったメニューとして非常に人気があるということである。



3.民統線への道

 次なる北朝鮮関連の場所は、ソウルの北にあるイムジンガク(臨津閣)である。ここは休戦線よりもさらに南に位置するのだが、ここは民統線(民間人統制線)という民間人の出入りが統制されている地域に接する最前線なのである。

ムンサン駅の看板
中断駅の看板(ムンサン駅)

 イムジンガクに行くためには、キョンイソン(京義線)に乗って北上すればよい。元来キョンイソンは、ソウルと中国国境のシニジュ(新義州)を結んでいた鉄道なのだが、南北分断によって民統線の手前のムンサン駅で中断している。

 日曜朝のムンサン行き列車には、ハイキング客が多く乗っている。少し走ると畑が広がる田舎なのだが、そんな中に15階とか20階建てのアパートがかたまって建っているのを見ると、ベッドタウンとして開発が進んでいることがよくわかる。以前はソウルの南へ南へと開発が広がっていったのだが、平和に慣れてしまったためか、最近では手付かずだったソウルの北方が開発の対象になっているのだ。

 終点のムンサンが近づくと、のどかな田舎の風景の中に、歩哨所や塹壕が現れてくる。ソウルから約1時間、たったの40〜50km足らずでムンサンに到着。駅には装甲車を積んだ貨車があったり、軍人が多くいたりと最前線の駅という感じがする。

 駅に鉄道中断点という看板が立っていたので、駅員に恐る恐る写真を撮っても大丈夫かと尋ねると、大丈夫だと返ってきた。相当警戒していると思っていただけに、いささか拍子抜けであった。駅を出てバスターミナルに向かう途中、休暇中の軍人が目立ったのも、軍事境界線近くだからであろう。

 バスは20分に1本出ているらしいが、目指すイムジンガクに行くのは、2本に1本らしい。30分くらい待つことになったので、バスターミナル脇のアイスクリーム屋に入ることにした。ここには米ドルが使えるという張り紙が出ていた。ソウルではこのような張り紙を見たことがない。韓国語でなく英語の張り紙ということは、通貨危機というよりも駐在する米軍に対する便宜を図っているものと思われる。



4.イムジンガク

 乗って10分も経たないうちに、バスはイムジンガクに到着した。途中、新しい広い道を通ったが、この道はパンムンジョム(板門店)を経由してピョンヤンにつながっている。しかし北に向かって新しい道を走ることはできない。

 到着して、まず向かったのが北に通じる道だ。この細い道の入口が民統線であり、そこにはイムジンガン(臨津江)が流れている。従ってこれ以上先に進むことはできない。以前はここから前線に物資を運んでいたのだが、今では新しくできた広い道を使うので、ここを通ることはない。

 ちょうど日本からの修学旅行生がいたのだが、添乗員の説明を聴いているのは先生と数人の生徒だけで、多くの生徒は関心がなくそこらをうろうろしていた。

 ここイムジンガクの回りにあるフェンスの向こうは北朝鮮ではなく、非武装地帯でもない。一応展望台から見ることもできるようになっているが、何となく中途半端な感じがする。その割には観光客が意外と多いのだ。後は土産物屋と資料館があるのだが、土産物屋では北朝鮮の酒も売られている。

 資料館では写真や北の雑貨が並べられているのだが、もともと工業製品が少ないこともあってか、展示物は決して多くはない。これならば我が家のコレクションを陳列した方がよっぽどいいと思ったくらいだ。

 そんな訳で長居していても仕方がないので、もう一つの統一展望台に行くことにしたのだが、バスが全く来る気配がない。そういえば降りる時に運転手が、次のバスは午後2時半だとか言っていた。

 運良くタクシーが客を下ろしたので、これでイムジンガンに沿って展望台に行くことにした。



5.最前線の住宅地

 このイムジンガクよりも下流の方に行くと、実は非武装地帯と民統線が一緒になる。そうなると最前線なのだが、これが川に沿ってえんえんと続く。この運転手は話し好きで、我々が日本から来たと言うと、日本製品から修学旅行生まで褒め上げるのだ。つい数十分前にだらけた高校生を見てきたばかりだったので、これには苦笑いしてしまったのだが、彼に言わせると日本の生徒は規律正しく、きちんとしているのだそうだ。

北朝鮮の集落
北朝鮮の集落(韓国側の説明では無人)

 イムジンガンの向こう岸は北朝鮮で、アパートが建っているのが見える。しかし彼によれば、その集落は宣伝のために作られたもので、人はまったく住んでいないのだという。

 30分ほどで、展望台のふもとに到着。ここからは専用バスか徒歩で山を登ることになる。展望台はイムジンガン横の山の上で、眼下に川と北朝鮮の大地が広がっているのだ。

備え付けの双眼鏡で村を観察してみると、7人くらいだが黒い服を着た農民のような人が歩いていたり座っているのを発見した。回りを見ると、韓国人も人がいると言ってははしゃいでいる。これではまるで、サファリツアーか何かで動物を見つけたときの反応と同じである。対岸にいるのは人間ではなくて、単なる見世物と化しているのだ。

 観光名所という意味では、イムジンガクよりも数段観光資源としては恵まれている。しかしこの場所に、マンション群とレジャーランドを建設するという計画が進んでいることには驚かされた。平和であってもここは休戦ラインの最前線であり、有事の際には激戦地に早変わりしてしまうのであるから。

 ソウルの街はハンガン(漢江)の北側が中心であったが、川を越えて南側の開発が進み、どんどん南に広がっていった。政府庁舎もソウルの南のクヮチョン(果川)市に移転している。通勤圏が遠くなるにつれて、次第に北側の開発も進んでいったのだが、いくらソウルから遠くない場所(50キロくらい)にあるとはいえ、最前線というのはいかがなものであろうか?

 駐車場は自家用車で一杯なのだが、路線バスで遊びに来ている人がいないわけではない。しかしバスは1時間に2〜3本しかないので、観光客でバスは満員となってしまった。日曜日だからであろうが、平日の客はどのくらいあるのであろうか? なにせ街までは山の中を走って行くのだ。



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