続アジア見てある記(67)
ラオス人民民主共和国(8)
アジア光俊
1.ヴィエンチャンへの道
日本からラオスに入る場合、バンコクから直接飛行機でヴィエンチャンに入るか、列車やバスでヴィエンチャンの対岸であるノーンカーイに行き、バスでメコン架橋を渡るのが最も簡単だ。またラオス入国にはビザが必要なのだが、このルートだとラオス到着時にビザの入手が可能なので、事前に面倒な手続きをする必要もない。
今回は飛行機で入ったので、空港でビザの手続きをしたのだが、5分位で発行してくれたので助かった。しかし列に並ぶのが遅れると相当混雑するので、大分待つことになるが、それでも20〜30分くらいであろう。費用は1人30USドル。乳児も同じ料金だったのにはいささか腹もたったのだが、入国しやすくなったことは喜ばしい。
2.カイソーン博物館
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以前雲南からラオスに入った時、入国審査官が胸にカイソーン元大統領のバッジを付けていたということは以前書いた。その後、日本に来たラオス政府職員が同じバッジを着用していたので、バッジの正体を聞いてみたところ、ヴィエンチャンにあるカイソーン博物館なるところを訪問した時にもらったのだと言う。キムイルソン・バッジ(北朝鮮)もシアヌーク・バッジ(カンボディア)も入手しているのだから、カイソーン・バッジも是非入手しなければならない。こんな訳でカイソーン博物館に行ってみることにした。
ホテルで場所を聞いたのだが、市街地図には載らないくらい離れた場所にあるらしい。テレビ局の隣ということと、以前聞いていたドンドック大学の途中という2つのキーワードを頼りにして、サムロー(三輪タクシー)の運転手と価格交渉することになった。
ホテル前から乗ったサムローの運転手は、場所がよくわからなかったようで、同業者が集まるタラート・サオ(朝市場=最大の市場)に行き、道を聞くことにしたようだ。そこで得た情報は、今日は周辺に軍隊が出ていて入れないというもので、結局そこで下ろされてしまった。しかし何とも納得がいかないので、流して来たサムローをつかまえて博物館地区の入口まで行くことに成功した。
カイソーン博物館とは言うものの、高級住宅地のような場所で、その地域の入口には警備員が立っていて、入ってくる人の確認を行っている。
何せ行ったのが大晦日だったので、開いているかどうかもわからない。警備員に話をしたら事務所に連絡してくれたのだが、入場はできないと言われてしまった。ある程度予想はしていたのだが、さすがに人のあまり居ない所まで来て、また戻ってしまうのは残念だ。地区入口の写真だけどもと思い撮影していたら、博物館から電話が入り、入場が許可されることになった。これは非常に幸運なことであった。
ところが敷地は極めて広大で、最初に紛れ込んだのは人民革命党の建物。次に博物館に着いたのだが、今日は休みだと言う。しかたなく元の入口に戻ったら、さらに別の場所に博物館はあるということ。ようやくたどり着くと、案内をする人が入口で待っていてくれた。
博物館というものの、カイソーン元大統領の執務室などが、生前の時そのままに保存されているというものだ。共産党ならではの博物館であろう。書斎には、フランス語、英語、ヴィエトナム語の本が並んでいた。残念ながら、ラオス語の本は絶対数が少ないので、外国語の本を読まないと何もわからないのだ。
案内をしてくれた女性は、きれいなラオス語を使う。アナウンサーのような感じだ。地域差が大きいラオスでは、標準語が固まってきたのは最近のことであるが、それ以上にタイのテレビや文化が流入し続けており、街の人が話すラオス語には相当タイ語が混じってきている。
最後の見学コースである会議室に行くと、訪問者が署名をするための大きなノートが置いてあった。見るとラオス人の団体ばっかりで、外国人らしき人は見当たらない。党や政府の人間が、ここに政治的な学習をしに来るように思えた。
記帳をすると例のバッジがもらえる。つまりカイソーン・バッジは、政治学習を受けた証しでもあるのだ。
よく調べてみるとこのバッジ、キムイルソン・バッジに極めてよく似ている。肖像の印刷やバッジの裏側の模様やピンのつけ方など、全く同じである。ラオスで製造しているのではなくて、北朝鮮のマンスデ(万寿台)創作社の製造であると断言してもよいであろう。
3.市場で新年の祝い
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博物館の帰り、一般人がいそうな場所まで歩いていくと、脇道の奥に市場らしいものを発見した。行ってみると、肉や野菜が中心で、多少雑貨品を扱う店がある小さな市場で、混雑しているというほどではないものの、買い物客もそこそこ集まっている。
その一角にある店の前で、10人近いおばさんやお姉さんが音楽をかけて盛り上がっていた。彼女達は自分の店の営業をしていたのだが、話しはじめるとすっかり意気投合してしまい、夕方にもなっていないうちから「サバイディー・ピーマイ(明けましておめでとうの意味だが、年明け前から使う)」と言いながら、ビールをがんがん飲む羽目になってしまった。
帰国してから、この場面の写真を友人達に見せたところ、「ラオス人はおとなしいというイメージが変わった」ということだった。ラオス女性も騒ぐときは騒ぐのだ。市場ということもあるのだろうが、誠にたくましい人達ばかりであった。
4.ポン太の日記(1)―街歩き編―
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僕はポン太といいます。1歳11ヶ月です。初めての旅行でラオスに来ました。
道路には日本で見る自動車だけでなく、大きな三輪車もいっぱい走っています。これに乗ると風がびゅんびゅん入ってきて面白いです。
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歩いて買い物や食事に行きましたが、歩道は広いけれども大きな石やコンクリートのかけらがゴロゴロ転がっていて歩きにくいです。でも日本のように自転車が道路に並んでいることはないので、まっすぐ歩けます。
少し歩くと、ものすごく広い砂場がありました。砂場はメコン河の河原で、水牛も歩いていました。ここでお坊さんに会いましたが、抱っこをしてもらっていっしょに写真をとりました。
市場にも行きました。品物が棚の高いところに置いてあるわけではなくて、低い台の上に置いてあるので、僕が手を伸ばせばすぐに触れます。ノートとかが山のように積んであったので面白かったです。
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ここでは、ちょっと年上のお兄さん達もいっぱいいました。みんなニコニコしていて、仲良くしてくれました。僕も日焼けをしていたのですが、お兄さん達はみんな日に焼けていたのでもっと黒かったです。
市場の2階は金とか宝石、時計を売っているのですが、こっちは全部ガラスケースの中に入っていて、僕の背の高さではあまり見えません。でもお父さんが肩車をしてくれたので、光る首飾りとか腕輪とかをおばさんたちが買っているのを見ることができました。
ここにはお父さんのお友達がいて、お店の中に入れてもらったり、近所のお姉さんからパンをもらったりしました。ここの人達は、僕を見るとすごく可愛がってくれます。
市場のほかには、本屋さんにも行きました。ここはヴィエンチャンで一番大きな本屋さんということでしたが、本は少ししかなくて、全部ガラスケースに入っていました。通路が広くて物が少ないので、走り回るのには都合がいいです。お客さんがいない割には、お店の人が5〜6人くらいいたので、お父さんが本を選んでいる間、お店の人が変わりばんこで抱っこしてくれたり遊んでくれました。ここでは、どこに行っても皆が話しかけてきてくれます。
5.ポン太の日記(2)―食事編―
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ヴィエンチャンでは、いろいろな食事ができます。街の中心部には噴水があるのですが、この回りには、いろいろな国の食堂があります。
お昼には、イタリヤ料理の店に行きました。席に着くと、パンのような具の乗っかっていないピザのようなものが出てきました。少ししょっぱくておいしかったのでたくさん食べました。スパゲッティとかも食べましたが、まわりのお客さんは大きな白人ばっかりでした。
フランス料理の店もありました。この店も外(普通の食堂)とは違って涼しくてちょっと暗かったのですが、小さなフランスパンが出てきておいしかったです。町中にもパン屋がいくつもあって、いろいろなパンを食べることができます。
町中のお店では、ヨーグルトも売られていました。お店で作っているみたいで、安かったのでいっぱい食べました。タイでは自家製ヨーグルトは売られていないので、ずいぶん違うのだと思いました。
そのほかの食べ物は、ジュースもお菓子もタイのものがほとんどで、ラオスのものは果物くらいしかありません。僕はバナナが好きなのですが、タイで食べるものの方が新しくておいしいです。家の周囲に果物の木は植えられていて、とれない訳ではないというのですが、運んでくることができないので、どうしてもいいものが少ないということのようです。
ラオス料理は、食堂に行ったり、お店で売っているおかずを買ってきて食べました。豆腐とか野菜炒めのようなものがありました。辛くないものもいろいろとありました。ご飯はもち米なので、固くてあまり食べませんでした。パンの方が好きです。ここではもち米を売っている横で、フランスパンが売られていて面白いです。
朝ご飯はホテルで食べたのですが、日本人のおじいさん、おばあさんがいっぱいいました。