続アジア見てある記(75)

ラオス人民民主共和国(11)

アジア光俊

1.ムアンシンの市場にて―その2―

中国製品
ムアンシンの市場
シートの上には中国製品

 雑貨類は中国やタイからのものがほとんどで、あえてラオス製品を探そうとすると織物くらいになってしまう。

 昔ながらの織物を使うものとしては、シンと呼ばれる巻スカートが一般的である。上着やズボンは既製品をそのまま使う事が普通だが、シンは生地を縫製して作るのだ。作ると言えば大変な作業のようだが、単に筒に縫うだけの加工に近いから大した手間にはならない。このシンの生地は輸入物があるものの、伝統的な物もいまだに好まれている。ラオスの織物というと、象、龍、蛇などが抽象化された模様が織りこまれているのであるが、高価なものほど目が細かくなっていて精緻な模様になっている。ところが最近では織物で表されていた模様が、そのまま捺染で表現された生地が出まわっている。従来のものとは質感も風合いも全く違うものなのであるが、模様としてはなじんだものであるし、何よりも価格が違う。絹織物と比べれば0が2つ3つくらい違ってしまうから、お金がなくても新しい着物を買う事ができるのだ。

 また、モン族が織ったものだという麻の生地も売られていた。黒と生成りとがあり、残念ながら黒は化学染料によって染色されたものであったが、さらっとした手触りは夏用の衣類をつくるのにはもってこいのものだ。



2.狭い地域にたくさんの外国人

 ムアンシンの繁華街は、市場の周辺数百mなのだが、この狭い地域に10軒以上のゲストハウスがあって、外国人がぶらぶらしている。いや、ぶらぶらしていると言うよりは、ゲストハウスや食堂でボケーッとしていると言ったほうがいいだろう。彼らは何日もそうやってここに滞在しているのだ。近くにはアヘンを吸わせる場所もあるということも、長期滞在観光客が多い理由としてあげられるかもしれない。これら観光客を目当てに、少数民族の衣装をまとった人たちがみやげ物を持って売りに来ているのも、この街の大きな特徴であるが、売れ行きは必ずしもよくないようだ。

 そんなゲストハウスの1軒は、日本語の看板を出していて、日本人旅行者のお客をターゲットにしているようだ。



3.日本人旅行者ネットワーク

 私の場合、旅先で日本人に出会う事は珍しいのだが、この宿には3人もの日本人が宿泊していた。話を聞いてみると、1人は中国からラオスに入ってきたところで、これまで一緒にラオスを旅していたというカップルは、女性の方が日本に帰り、男性の方は旅を続けるのだという。またいつか男性の方が旅先から連絡をして、地球のどこかで落ち合うのだと言うからスケールの大きな話しである。

 この日本人旅行者たちの年齢は全員20代中頃なのだが、特にラオス語ができるというわけでもない。にもかかわらずこんな僻地の方に足を伸ばして来るのだから、大した度胸である。まあ、生活をするわけではないから食べたり宿泊をすること、それに移動ができれば事足りるのだが、彼らの話しを聞いてみるとこういったバックパッカーの若者の旅行パターンを知る事ができる。

 どうもこのような日本人が集まるゲストハウスというのは、世界中にあるようで、日本人がいなくても外国人バックパッカーが泊まる場所なら必ずといっていいほどあるらしい。

そういう場所には「情報ノート」が置いてあって、その街での食堂や両替の情報、付近の街との交通手段などがかなり細かく(間違えていることもあるが)書かれていて、それを見るだけで現地の人とは一言も話しをしなくても旅行者に必要な情報は全て揃えられるようになっているのだ。もちろん宿に宿泊している旅行者同士の情報交換は欠かせない。自分が行こうとしている場所を通ってきた人がいれば、何よりの情報源になるし、行き先が決まっていなければ、「○○が良かった!」という話を聞いて次の行き先を決めるからだ。

 そんな訳で、旅行者、特に日本人旅行者が行く場所というのは結構限られているようなのだ。つまり、その情報網から少しでも外れていれば、日本人と出くわす可能性は極端に少なくなる。この日本語の看板が出ているゲストハウスに泊まろうとした時に、主人からここには日本人がよく泊まって行くという話を聞かされたのだが、この宿はこのような日本人旅行者ネットワークの1つに組み込まれることにうまく成功したのである。どこかの街のゲストハウスの情報ノートに、「ムアンシンでの宿泊はこのゲストハウスがいい!」などと推薦文が書かれていることであろう。



4.意外にも整備されている道路

手動ポンプ
手動式計量ポンプ

 ムアンシンからメコン河畔、ミャンマー国境の町シエンコックまでは100キロ近い距離がある。市場前のバス乗り場でトラックバスに乗り込んでおばちゃんたちと話をしていると、白人女性旅行者や日本人女性旅行者が同乗してきた。皆、この白人旅行者に関心があるようで、私を通じて「どこから来たのか?」、「歳はいくつか?」などと質問を浴びせていく。「イスラエル」という答えに対し、乗客の誰一人として場所を知らなかったのはご愛嬌であるが。

 バスは走り出すと、すぐにガソリンスタンドに入り給油する。耕運機を改造して作ったトラックに乗ったアカ族のおばさんたちがガソリンを買っている横で給油である。我々に給油する給油機は、タイにもあるような立派なものでちゃんとメーター式になっているのだが、よくみると機械の横にハンドルがついている。電動のようだが、手動式ポンプなのだ。

がけ崩れ
崖崩れは多い

 給油を終えると道路を進んでいくのであるが、でこぼこ道ではなくきちんと平らに整備されている。部分的には舗装までされているのだ。こんな山の中、辺境の地まで整備が進んでいるのは驚きである。このムアンシンからシエンコックまでの道は、大部分がナム・マ(マ川)に沿ってくねくね走る山岳コースである。昔は狭い道だったのを拡張したのであろう、切り通しになっていている部分も少なくない。そんな部分の何箇所かでは崖崩れが起こっていて、道路上を土砂や木がふさいでいることもあった。

 トラックバスは途中、いくつかの集落や何もない山の中で乗客を乗せたり降ろしたりしながら3時間くらいかけて終点のシエンコックに到着した。ここには船着場があるものの、ひっそりとした本当に小さな集落で、今までまともだった道路すらぬかるんでいる。全く活気のない集落ではあるが、月に一回だけ市が開かれ、ミャンマーからも商売の人が集まってきて賑わいを見せるのだという。メコンの対岸はミャンマーであるから別に不思議ではないのだが、入国手続きなどはどこでやっているのかを考えるとちょっと疑問が湧いてくる。河を昇って行けば中国になるし、このラオスのハズレにある集落は、実は周辺諸国をつなぐ要所の一つだったのだ。



5.国際河川メコン

シエンコック
静かで小さな集落(シエンコック)

 このシエンコックからフア・ワイ(スピードボート)に乗って河を下っていけば、タイ、ミャンマー、ラオスの国境が交わる「ゴールデントライアングル」経由でフエイサーイという外国人が通過できる国境の街に行くことができる。退屈な街に長居は無用とばかり、船着場でフエイサーイ行きの船があるかと聞くと、すぐに出してくれるという。料金は1人800バーツ、または20万8000キープ(約2400円)とかなりの値段である。軽く値切り交渉もしてみたが、一応料金表にも書かれている値段なので、おとなしく支払うことになった。

 この舟、一応ヘルメットとライフベスト着用が義務付けられているものの、人数分用意されているわけではない。私が乗り込むと、件のN氏がしっかりと着用していて、すでに私の分は残っていなかった。いいかげんな舟なのだが、走り出すと速い。それこそ4〜5mくらいの長さしかない舟に、2000ccのエンジンを消音器なしで搭載して走るのだから、騒音のほうもやたら大きく、まるで音から逃げようと水の上を飛んでいくような走りをするのである。

 雨季で増水したメコンは、流木も多いし、流れが複雑で小さな滝のようになっているような場所もある。また例年よりも水量が多いようで、堤を越えて畑に水が流れ込んでいる場所も多数見られた。

中国の船
中国の船も航行する

 快調に飛ばしていた舟であるが、30分位して急にエンジンを停止した。行く先が真っ白になっていて、大雨が降っているのが遠くからでもわかるのだ。荷物にシートをかける船頭を見ながら、私も持参のポンチョをかぶることにした。傘しか持っていないN氏には、船頭がビニールシートを貸してくれた。後ろに座っている私がシートの端を押さえながら大雨の中を通過するのである。

 大雨の区間は20分程度で、後は時々パラパラと雨があっても気にならない程のもので、まずは幸運だった。途中のムアンモムで舟を交換して更に下流へと向かう。このあたりまでくると「ゴールデントライアングル」と言ってもいいくらいの場所になる。大型船が目立ってくるのもこの辺からだ。タイ、中国、ラオスの3ヶ国の国旗を掲げた船が河を上り下りしている。その中でも目立つのは中国の船である。「300屯級超浅水船舶」なる巨大な船が、満載の荷物をビニールシートで覆っている様は国際河川という印象を強く与える。徐々にメコンを通じての交流や物流も本格化していっているのである。

チエンセーン
ここも出入国ポイントだ!(チエンセーン)

 3時間近く走って、目的地のフエイサーイまで後1時間くらいかという時になって、舟は突然タイ側の船着場に横付けされた。ここはチエンセーンという比較的大きな街で、タイの出入国管理事務所もある。4年前にここからラオスを見ながらガイヤーン(焼き鳥)を食べた場所でもある。そんなところで舟の修理をはじめた。ラオスでは部品が簡単に手に入らないから、タイで修理したほうがいいのだが、今まで走ってきたのだから、客を降ろしてからにして欲しいものだ。結局30分以上も修理につきあう羽目になってしまった。船着場には出入国管理事務所のブースがあったものの、係官は居らず、簡単に上陸して食事くらいできそうな感じであった。

 そんな訳で、フエイサーイに着いたのは夕方近くで、メコンの夕日を見ながら一杯やったらすぐに夕食の時間になってしまった。



6.タイ国境の街フエイサーイ

 夕食は3年前に行ったことのある食堂で食べることにした。ここで写真を撮って、後で日本から郵便で送ったのだが、私の事を覚えているかと聞くと、すぐに写真を送ってくれた人だと返事が返ってきた。覚えていてくれたのは非常にうれしい限りである。ラオスの夜は何もすることがないので静かで早い。

フエイサーイの市場
フエイサーイの市場

 翌日は市場に行ってみたが、葉タバコやキンマなどの嗜好品が売られている他、タイや中国からの輸入品という構図は他の地域と変わらない。若干違うのはミャンマーからのシャンバックが売られていることくらいだろうか。ムアンシンで売られていたモン族の生地なども生地屋で売られているから、運び屋による流通ルートはきちんと確立しているのだ。しかしながらヴィエンチャンでは電化製品などに貼られていた納税シールは、ここでは貼られてはいない。政府による政策の画一化のほうが進んでいないというというのは情けない話である。

 ここからタイのチエンコーンまでは、舟で5分とかからない。メコンを挟んで物資の格差は少なくなってきても、制度の差はあまり縮まらない。本当の意味でラオスが発展していくのには、まだまだ時間がかかるであろう。



次の号に進む次号に進む

「続アジア見てある記」目次に戻る「続アジア見てある記」目次

アジア光俊HPに戻るアジア光俊HPトップ