続アジア見てある記(86)
ヴィエトナム社会主義共和国(5)
アジア光俊
1.ヴィエトナムは変わったか?
前回ヴィエトナムの事を書いたのは3年前の事であり(続アジア見てある記48、49)、その間にも大きな変化があった。
一言で言えば、市民に余裕がみられるようになったことだろうか。本質的な部分では大きな変化はなくても、表面的には改善が見られる。街で売られているもののセンスもよくなってきたし、商売の仕方もスマートになってきている。女性誌が取り上げたおかげで、今ではヴィエトナムという国は「かわいい雑貨や小物がある国」とか「いい焼き物(バッチャン焼きというのだが)がある国」、「綺麗なアオザイを安く仕立てられる国」等々...。
だんだんとヴィエトナムも「特別な国」ではなくなってきているのかもしれないという考えは甘くて、実はしたたかな国であることには変わりがないようである。
女性週刊誌を見てノコノコ出かけていく旅行者には、そもそもの相場がわからない。従って日本の価格と比べて安ければ素直に喜んでいるのだ。それはそれで幸せなのだが、品質面など、単純に比較できないことも多い。日本では二足三文の商品でも高く売られていることがあるから注意が必要だ。また雑誌などで取り上げられると相場が高騰することもある。バッチャン焼きなどは、大挙して買いに行くので、今では村で買うよりもハノイで買った方が安いくらいだといわれているのだ。
では私は騙されていないのかというと、実はマンマと騙されてしまったことがある。それは薬局でのことだ。昨年10月にビタミンCを10000ドン(約80円)で買った。大分高いなぁとは思ったのだが、薬の値段をふっかけるはずはないと思い、言い値で買ってしまった。同じものを今年1月に買った時は、1つ3000ドン。3倍以上の値で売られていたのだ。値段なんて本人が納得すればいいのであって、10000ドンでも買った奴が悪いのかもしれないが、そもそも薬局とはそのようなものではないはずである。ビタミン剤なら命に別状はないが、他の薬だったら大変だ。災害で困っている人に、溶いた小麦粉を焼いただけの「お好み焼き」を3000円で売るようなものである。
2.静かなスーパーと「日本酒」
今まで何度もハノイに行きながら行ってなかった場所がある。それは日本のスーパー「西友」である。一度見ておきたいと思っていたのだが、市街地からは相当離れていてちょっと行くという感じではなかったからである。全くの田舎にあるという訳ではなく、むしろ周辺の道路は朝夕には通勤客で大混雑になるのだ。
西友の並びには、現地のスーパーもあるしボーリング場もあるから、もしかすると時代の先端を行っている場所なのかもしれない。
「越」を「えつ」と読ませる ところがミソ!
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さて、西友の建物は2階建てで、駐車場完備である。留学生はともかく、駐在員やその家族は自転車やバイクなどに乗って来ないだろうからこれは必需品である。店内はちょっとしたスーパーほどの大きさで、驚くほど大きいわけでも小さいわけでもない。そんな店内の商品は、さすがに日本人を意識して肉や魚、日本食や輸入食材が並んでいる。あまりにも現地色が薄いので、ちょっと拍子抜けしてしまった。まあこれも駐在員家族の要望に応えたものなのだろう。日本人が何人か買物に来ていた。
2階は靴や敷物などが並んでいる。私が上がった時には一人もお客がいなくて、店員が遊んでいたのだが、誰がここまで来て買うのだろうかというような商品ばかりで赤字間違い無しだろう。
大して買いたい物も見当たらなかったのだが、日本酒のコーナーで変な酒を見つけた。「越の一(えつのはじめ)」という純米吟醸酒なのだが、ヴィエトナム中部の古都であるフエで作られた日本酒なのだ。おそらく名前は「越の寒梅」などの真似ではなく(意識したかもしれないが)、ヴィエトナム(越南)で最初(それとも1番)の日本酒という意味なのだろう。地元のスーパー(とは言っても、外国人かお金持ちが主なお客さん)でも売られているこの日本酒。純米らしくアルコールの辛さがなく、日本酒らしい日本酒だ。
3.ヴィエトナムの門松?
自転車で運搬
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ヴィエトナムの正月は中国正月と同じで、いわゆる旧暦で行われ「テト」と呼ばれる。おそらくアジアと日本をお読みの皆様であれば、ヴィエトナム戦争時の「テト攻勢」という言葉を思い浮かべる方が多いと思う。テト前後の1週間から2週間は皆仕事が手につかない。早めに休暇に入る人もいるし、ゆっくりと職場復帰をする人もいる。テト期間中は、昔の日本のように商店が皆休みになってしまい、生活には不便なので、駐在員などは海外に脱出する事が多い。一方で海外在住ヴィエトナム人(ヴィエトキュウ=越僑)は、里帰りをするので、テト前後はただでさえ混んでいるヴィエトナム線は超満員になってしまうのである。
テト前のハノイに行ったのだが、すでにテトの飾り付けがあちこちで行われていて、地味なハノイの街も何となく明るくなっていた。商店や官公庁には、赤い提灯やのぼりが飾られているのだが、入口にはなぜかミカンの木が置かれている。このミカンだが、やたらと小さく金柑ほどの大きさしかない。皮もピンと張っていていかにも固そうで、ミカンと言うよりもまん丸な金柑の木だと言った方がわかりやすい。このミカンの木は、まるで開店祝いの花輪のように送り主の名前がリボンに書かれて木に巻かれている。郵電総局の入口にあったミカンの木の送り主はと見てみると、「△△重工」とか「×××商事」など日本企業から送られてきたものが半分くらいあった。
鉢は使わず、土をそのまま紙で包んでいる
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街中では、飾られているミカンの木よりも、売り物の木が非常に目立つ。高さにすると1m〜2mのものが多いのだが、これを買って帰る人を道で見かけることが多いのだ。小型のものなら自転車やバイクの荷台に積んで運ぶし、ちょっと大きめのものはシクロ(三輪自転車で、前が座席になっている)に積んでいる。街を離れた幹線道路沿いでは、大きめの木が乗用車のトランクに入れられている。
テトには欠かせないミカンの木だが、なぜ飾るのかという質問に答えられるヴィエトナム人は残念ながらいなかった。日本人に「なぜ正月には門松を飾るのか?」と聞くようなものなのかもしれない。帰国後私のHPにある掲示板で誰か知っているかと問いかけたら、ある人からこのような回答があった。
「ベトナムで見られた旧正月にミカンの木を飾る習慣は、シンガポールやマレーシアにもあります。元々は広東語で「柑」の発音が「金」と同じことから縁起をかついでいるそうです。また「橘」の発音は「吉」に似ているそうです。多分ベトナムのルーツも同じでしょうね。」
4.電話機の進歩
IC電話カード
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以前、ヴィエトナムにはICカード式公衆電話が導入されようとしていると書いたが、あれから3年、事態は急速に進んで、従来の磁気カード式公衆電話はどこかに行ってしまった。普及度合いが少ないだけに、切り替えも比較的容易なのだ。通信事業をやっている郵電総局は儲かっているようなので、新規投資も積極的に行っている。磁気カードシステム下で、どのくらい不正利用(変造カード利用など)があったのかわからないが、早めに対策を立てておく事は重要だろう。
さて、ハノイ市内にはあちこちに電話ボックスがあるので、市内電話はおろか、国際電話だって簡単にかけられる。ところが、日本で販売されている国際電話プリペイドカードは使えないようになっているのだ。国際電話プリペイドカードの仕組みを説明しておくと、タイや韓国など海外で、日本の国際電話会社によって決められた電話番号に電話をすると、その会社のシステムに接続して、カード番号を入力する事によって国際電話がかけられるというものである。国際電話料金は、日本の会社に支払うことになり、現地の取り分は少ない。そのような訳でヴィエトナムでは、海外の電話会社扱いになる国際電話の取り扱いをしないのだ。ヴィエトナムでも通信の民営化などをしていかなければならないだろうから、このような状況も将来的には変わっていくだろう。
IC電話ボックス
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そういえばヴィエトナム航空の機内誌には、プリペイド式携帯電話の広告が載っていた。携帯電話を持って歩く事がファッションになってきているらしいが、確かに外国人やお金持ちが出入りするホテルやレストラン、スーパーなどにいる人を見ると、携帯電話を腰につけていたり大声で電話をしている人を目にする。自営業でお金を貯めて豪華な生活をしている人は、ヴィエトナムだけでなく発展途上国では珍しくないが、不思議なのは政府の役人で携帯電話を持っている人がいるということだ。携帯電話を持つと、毎月数十ドルのお金がかかるが、公務員だと給料の多くが、いや、利用状況によっては給料のほとんどが電話代として飛んで行ってしまうだろう。一方で役所には携帯電話を契約するようなお金はない。そうするとこの携帯電話の持ち主とかお金の出所がわからなくなってしまう。さらに謎を大きくしているのは、役所によっては携帯電話を持っていなかったり、上層部皆が持っていたりとバラツキがあることなのだ。
郵電総局の職員は、時代の最先端を行っている。新年祝いのミカンの木にかかっていたリボンと関係があるのかと思ってしまった私は考えすぎなのだろうか?
5.新たな戦争
ハノイ・ノイバイ国際空港から街に入るためには、高速道路的な立派な有料道路を走る。それほど交通量も多くないので、80キロくらいの速度で走行する事が可能なのだが、道中かなりひやっとさせられることが多い。やたらよたよた走るトラック、道路の端になぜか止まっている車、2列になって話をしながら走るバイク。しかし敵はそれだけではない。水牛が歩いていたり、天秤棒や山のような荷物を荷台に積んだバイクや自転車もいたりするのだ。そう、ここは決して自動車専用道路ではないのだ。
街中に入ると戦いはすさまじい事になる。バイクや自転車の波に自動車が飲み込まれてしまうのだ。ラッシュ時には信号お構い無しで交差点に入って来るから、交差点周辺は自転車もバイクもほとんど動かない。とにかく少しでも隙間を見つけて前に出た方が勝ちという状況で、どう考えても交通ルールというものが存在していないのだ。言ってみれば新たな戦争があちこちで発生しているのである。
この無秩序に見える車の流れも、水族館の魚と一緒でごちゃごちゃとしていながらも一定の秩序があって互いにぶつからないという人もいる。そう考えればジェットコースターと同じで、スリルのあるドライブをすることができる。
しかし本当にぶつからないかというとそういうことはない。私も何度か接触事故を見た事があるが、事故現場をそのまま維持して、掴み合いになりそうな言い争いをしている。こういった場合、弁のたつ方が勝つことになるのだが、交通ルールなるものが確立するようになるのはいつのことだろうか?
☆ ☆ お知らせ ☆ ☆
社団法人アジア社会問題研究所の機関紙「アジアと日本」に、1994年2月号から連載しておりました「続アジア見てある記」ですが、「アジアと日本」が2001年4月号をもって最終刊となりましたので終了いたします。
突然の廃刊は、アジア社会問題研究所の発展に心血を注いでこられた久村晋専務理事のご逝去(2001年2月12日)にともなうもので、現在、社団法人アジア社会問題研究所は清算業務を完了し解散しております。
「アジア見てある記」「続アジア見てある記」の発表の場を与えてくださった故久村さんに感謝の意を改めて表するとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。
なお、「続アジア見てある記」に続く新たな記事を予定しておりますので、新連載までしばらくお待ちください。
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