メコン上流地域における各国相互関係深化の現状と今後の見通しについて
折山光俊
1.当該地域の概要
メコン上流地域は、中国雲南省、ラオス人民民主共和国、ミャンマー連邦及びタイ王国の4カ国からなる地域であり、ADB(アジア開発銀行)が音頭を取って進めている拡大メコン地域(GMS=Greater Mekong Subregion)経済協力の中心地域でもある。また最近ではこの地域は「黄金の四角形」と呼ばれることもあるが、新たな成長地域として注目を集めつつある地域であることは間違いない。
この地域は雲南省の北部山岳地帯を除けば熱帯性気候であるが、標高が1000m以上と高いことから暑期でも比較的涼しく過ごしやすい。食文化では、みそや納豆などの大豆発酵食品が作られている地域もあり、日本文化のルーツとも言われている。
当該地域における人口は1億人を超えるが、中国の漢族、ミャンマーのビルマ族などの他に、タイ族が4つの国にまたがって居住している。それぞれ中国・雲南省のタイ族(約100万人)、ラオスのラーオ・タイ族(=低地ラーオ。約300万人)、ミャンマー・シャン州のシャン族(約200万人)、タイのタイ族(約5000万人)と現在の土地に定着した時期により違いはあるものの、いずれも同系統の民族である。彼らは言語においても、それぞれルー語、ラーオ語、シャン語、タイ語と使用する文字は違うものの、全てシノ−チベット語族のうちの南方系タイ諸語に属した言語を使っており、これらの言語は会話ではある程度意志疎通ができるくらい似ている。
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(各国統計、IMF統計より著者作成)
2.各国における国境の開放状況
中国、ラオス及びミャンマーの3カ国は外国との交流を制限していたが、特にラオスとミャンマーは鎖国に近い状態が長く続いており、人的移動や交易は厳しく制限されており、ヤミによる取引が細々と行われていた程度であった。このような状況の中で、各国とも改革開放が進んでいった。
(1)ミャンマー
「ビルマ式社会主義」注1を唱えていたミャンマーは、1989年3月には社会主義経済制度の放棄を正式に行った。「社会主義」時代には非合法とされながらも行われていた民間国境貿易であるが、1988年12月に中国との民間国境貿易が合法化された。その後タイなどとの貿易も解禁されている。ミャンマーには一部の商品(農産品や天然資源)に輸出税注2が課されているが、国境貿易では輸出税を課す品目も多く、かつ、高率になっており、国境貿易を発展させたいものの慎重になっていることが読みとれる。
現在では国境の管理は厳しいものの、いくつかの国境貿易(相互往来)が可能な地点がある。中国との国境貿易地点である、ムーセ−瑞麗(ルイリー)、チューゴウ−田宛町(ワンディン)、ナンカン−弄島(ノンタオ)、マウンゴウ−芒海(マンハイ)などを経由した荷物(人間)は、ミャンマーではラーショー経由でマンダレーにつながり、中国側では昆明(クンミン)につながる。このルートはADBの道路事業計画にも「R4 昆明−ラーショー道路向上計画」として含まれており、民間会社である「Asia World Company」が約2700万USドルのBOTプロジェクト注3として改修される予定になっている。
また打洛(ターロウ)からミャンマーのチャイントウンへ抜けるルートも一般的であり、チャイントウンからはタイのメーサイへ抜けることができる。このルートもADBの計画に「R3 チエンラーイ−昆明道路向上計画(うちミャンマー経由)」として有料道路方式での改修に向けて話し合いが進んでいる。これらのルートは現在、タイ・メーサイ−ミャンマー・ターチーレーク間が外国人(第3国人)に開放されている他は、ミャンマー側が外国人の通過を許可していない。またかろうじて国境を越えられるターチーレークから入る場合もヤンゴンまで行くことできず、170q先のチャイントウンまでしか行くことができない。
ミャンマーとタイとの間では、前述のターチーレーク−メーサイ以外にも、カイン州ミャワディーとターク県メーソートの間での交易が行われている。国境にはムエイ川という小さな川が流れており、小舟を使って荷物を運んでいたが、97年8月に「タイ−ミャンマー友好橋」が開通した。北部タイにおいては、これ以外にもメーホンソン県など交易の拠点はあるが、そこまでの物流にも問題があるので、材木の取引など特定の商品以外の取引は限定されている。さらに非合法で貿易がされていたり、労働者流入などが行われていることは言うまでもない。
この国境貿易だが、これが合法化されていない時代でも行われていた。しかし80年代に2度のチャット廃貨注4があったが、この時にはかなり低迷したという。最近では7月のチャットの大暴落注5によりチャットの受け取りを拒否する商人が増えており、タイの景気低迷とあわせて国境貿易が再び縮小する可能性がある。
(2)ラオス
ラオスはこの地域のもう一つの鎖国国家であった。
ラオスと中国との貿易は、ラオス・ボーテンを窓口として行われる他、外国人には国境の開放がされていないもののムアンシンでも可能である。このボーテンは、ADBの「R3 チエンラーイ−昆明道路向上計画(うちラオス経由)」のルートにあたり、タイとの国境であるフエイサーイ(タイ側はチエンコーン)とあわせて外国人(含む第三国人)の出入国が認められている。このルートは、将来当該地域の花形ルートになることが予想されるが、現状の物流は活発ではなく、中国商品がタイに運ばれる場合、ミャンマー経由になることが多い。またタイの商品に関しても、北部ラオスで消費されるものであってもフエイサーイではなく首都ヴィエンチャン経由というのが一般的となっている。これは、フエイサーイからルアンナムターへの道路が改修中で通行ができなくなっていること(改修以前の道路は悪路で、特に雨季の通行は困難を極めていた)、他の都市への道がなくメコン河の水運に頼らなければならないが、水量が減少する乾期の航行は困難であることから年間を通じたルートの確保が困難であること、など交易には有利な条件にないことが理由である。従ってルアンパバーンやウドムサイなど北部の都市では、タイの商品はヴィエンチャンから輸送されてくる。さらにタイ経由の貿易は寡占輸送会社を利用する取引ではヴィエンチャンに荷物が集まることから、ヴィエンチャン経由の方がコストの削減が可能ということも言えるだろう。
タイとの交易については、ラオス−タイ関係が緊張するたびに国境の閉鎖が行われ、そのたびに中断してきたが、最近は安定しており国境開放地点も増加している。
ラオス−タイの出入国地点としては、前述のヴィエンチャン(タードゥア)、フエイサーイの他に、ラオス・ターケーク−タイ・ナコンパノム、サワンナケーッ県カンタブーリー−ムクダーハーン、パクセー−ウボンラーチャターニー県チョンメッがあり、これらの地点は現在では外国人の通過も可能となっている。交易や人の移動が活発化することに伴い、ホテル建設など観光産業の活発化が見られ、経済的発展も見られるようになっている。南部ラオスの方は、タイとの国境貿易が盛んであり、また、サワンナケーッからは国道9号線が東へ伸びており、中部ヴィエトナムのフエやダナンに抜けるルートとなっていることから、ヴィエトナムとの交易もある。
(3)タイから見た国境地帯
これら国境地帯をタイ側から見ると、国境開放の効果を目の当たりにさせられる。特に「友好橋(サパーン・ミッタパープ)」でラオス・ヴィエンチャンとつながったノーンカーイや、その手前のウドンターニーといった街では、ホテルやショッピングセンターの建設が進んでいる。しかし国境の街であるノーンカーイ注6よりも、ウドンターニー注7の開発が進んでいることは、もともとの経済力やインフラ整備などが、その後の開発にも大きな影響を与えるものとして注目に値する。
注1:ビルマ式社会主義
1962年にネ・ウインがクーデターで政権を取った時に綱領として掲げたものがこれである。マルクス・レーニン主義に依拠しないもので、精神の優越性を認めている。ソ連邦等の社会主義国からは社会主義と見なされていなかった。ビルマ(当時)も資本主義国と社会主義国のどちらの側にも立たず中立の立場を通している。「社会主義」化の背景には、当時経済を牛耳っていた華僑、印僑からビルマ人が経済の主導権を奪い取ろうとした事実がある。
注2:ミャンマーの輸出税
財源確保と物資流出回避の観点から輸出税は設定されている。
ミャンマーの輸出税は、豆類にかけられているが、国境貿易輸出税は魚、豆、木材(現在は撤廃)など、通常の輸出税よりも広範な品目にかけられている。税率も通常が5%程度であるのに対し、国境貿易は20%程度と高率である。
注3:BOTプロジェクト
民間資金を活用して事業を推進する際の一つの方式。Built Operated Transferの頭文字を取ってBOTと呼ばる。国家から権限を委譲された民間会社(J/Vなどの場合もある。一般的には当該プロジェクトのためだけの特別な会社を設立する)が、費用を負担して建設し(Built)、一定期間運営を行い(Operated)その収益で投資費用を回収するというもの。期間終了後は所有が国家に移る(Transfer)。国家にとって対外借入を増加させずに公共事業ができるという利点はあるが、費用がかかることが欠点である。当初の費用は外貨によってもたらされているため、内貨(当該国の通貨)によって費用を回収する場合、外貨交換などのリスクを伴う。
民間資金によって行われるプロジェクトの方式としては、所有や移管のタイミングなどによりBOO(Built Operated Own)やBTO(Built Transferd Operation)などがある。
このように、事業のための特別な会社を設立し、国家などからプロジェクトに関する保証を受けず、事業収益のみで投資資金を回収する方法を「プロジェクト・ファイナンス(Project Financing)」と呼び、インドネシア、フィリピン、中国などで進んでいる他、ラオスやミャンマーでも関心が高く進もうとしている。
注4:チャット廃貨
ビルマ(ミャンマー)政府は、1985年に100チャット札を、87年には75、35、25チャット札を廃貨した。これは、やみ商売などで貯め込んだチャットを廃止することによって、これら商人に打撃を与えるための措置だということになっている。1回目の廃貨は最高額紙幣である100チャットであったが、2回目には小額紙幣である35や25チャットも廃貨にされたことから国民生活に大きな打撃を与えた。88年の暴動については、廃貨も原因の一つと考えられる。
注5:チャットの大暴落
1997年7月に実勢レートで1USドル=160チャットから一時280チャットまで暴落した。タイ・バーツ下落の影響もあるが、ASEAN加盟に伴いチャットが切り下げられるとか、チャット紙幣がまた廃貨になるなどの噂が出たため。
注6:ノーンカーイ
タイ東北部の北端であり、国道2号線の終点の街。都市部人口は約2万人。ヴィエンチャンの対岸の街と呼ばれ、ラオスへの出入国ポイントであるが、ヴィエンチャンの本当の対岸は、ノーンカーイからバスで1時間くらい西に行ったシーチエンマイという小さな村。国境が閉鎖されると、このシーチエンマイにラオスを一目見ようという観光客が訪れていた。
注7:ウドンターニー
ヴィエトナム戦争当時、米軍の空軍基地が存在していたことから繁栄した街。都市部人口は約8万人。県庁所在地にある銀行は13。VOA(アメリカの声放送局)の送信所が現存している程度で、米軍の影はなくなっている。
3.統計から見る交易の実態
(1)タイ−ラオス
タイの統計によれば、ラオスからは木材を中心とする天然資源を輸入し、自動車を始めとする各種商品を輸出している。ラオスがあらゆる面でタイに依存している状況が読みとれる。
またラオスは内陸国であるためタイを通過する貨物も多く、その金額はタイとの貿易に匹敵する。
(2)タイ−ミャンマー
ラオスと同じように、ミャンマーからの輸入も木材を中心とする天然資源の割合が圧倒的に高い。輸出も多くの種類になるが、宝石類や飲料が上位を占めているところが違う。
一方国境貿易に関するミャンマー側統計によれば、ミャンマーの輸出は天然資源で変わらないものの、輸入に関してはタイヤや自動車、電気製品などが上位にある点が違う。
(3)ミャンマー−中国
両国の国境貿易に関しては、ミャンマーの輸出の多くを農水産物が占めている点がタイとの貿易と違う点である。輸入に関しては、綿製の生地や衣類、電気製品、医療用品という生活に密着した商品が多い点が注目に値する。
(資料)
タイ−ラオス貿易(95年)
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(単位:百万バーツ、出所:タイ大蔵省)
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(単位:百万バーツ、出所:タイ大蔵省)
タイ−ミャンマー貿易(95年)
タイの輸入 | 総 額 | 5511 | タイの輸出 | 総 額 | 8638 | ||
木 材 魚 宝石類 | 4598 756 48 | 宝石類 飲 料 プラスチック・製品 履き物 | 775 734 634 539 | ||||
(単位:百万バーツ、出所:タイ大蔵省)
ミャンマーの国境貿易(92/93年)
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(単位:万チャット、出所:ミャンマー大蔵省)
4.市場に見る交易の実態
(1)中国
統計からも分かるように、中国国境地帯で明らかに外国商品と判別できる製品が売られていることは少ない。商品の競争力から言っても、ミャンマーやラオスの製品が中国で受け入れられることは不可能に近いと思われる。
ところが最近は状況に若干の変化が生じてきており、ミャンマーの宝石類が相当量入り込んでいる。雲南省は、その独特の気候や文化から、観光地としても人気がある。特に国境周辺の少数民族の自治州など(西双版納タイ族自治州など)へ向かう飛行機は中国人観光客で満席となっており注1、彼らはある程度所得が高い層であり、資金的に余裕を有している。このような客が宝石類を買っていくのだが、景洪市では、この半年にミャンマーの宝石を扱う店が何十軒の開店しており、タイのメーサイを上回る規模になっている。
一方タイの商品に関しては、薬品や日用雑貨などの一部を国境近辺で見ることができる。しかしおみやげ程度のロットであり、日常的に使われるものではない。流通の問題もあり、商品の量が揃わないことも原因の一つではあろうが、現段階において中国人がタイ商品を選ぶインセンティブが働かないことも原因である。タイ企業の雲南進出は少なくはないものの、全体の15%程度である注2。従って今後物流のルートが確保され、中国人の所得がさらに上昇してくればタイ商品の需要も増加してくるものと思われるが、当面は現在のような状況が続くであろう注3。
現金による決済に関しては、人民元決済がほとんどであり、ラオス・キープやミャンマー・チャットの使用はほぼ不可能。交換できてもレートは良くない。さらに米ドルもほとんど使われておらず、取引が限られた範囲で行われていることを表してる。
(2)ラオス
ラオスにおいては、ありとあらゆる分野においてタイの商品が幅をきかせている。ヴィエンチャンのスーパー、百貨店などの品揃えを見ると、タイのスーパーと大差ない位タイ製品が並べられている。このような状況にあるため、ラオスの工業製品の物価は決して安くなく、タイの一割増程度である。また中国国境においてもタイ製品が販売され、中国人も買っていく。
一方中国商品は、自転車、衣類、家電など見られるが量は少ない。これは価格よりも品質やイメージを重視するラオス人の購買特性から生じるもので、中国の隣接国ではモンゴルが同じ様な傾向にある注4。
日用品の世界では競争力の低い中国製品であるが、産業機械の分野では浸透が目立ってきている。以前はソ連邦から買っていたトラックなどが中国製品に取って代わり、最近では北部だけでなくヴィエンチャンでも中国製トラックを目にすることが多くなってきた。これに伴い中国国境ではタイヤの輸入も増えているという。
一方のラオスからの輸出商品は、主に中国やタイとの国境においては、木材を満載したトラックがラオスから出ていき、機械や日用品が輸入されている。
ラオス国内では従来から、低額の支払いはキープで、高額の支払いはタイ・バーツと米ドルで行われてきた。さらに北部においては人民元での決済が可能となっていた。ここ10年近く公定レートと実勢レートの間に差はなかったが、最近では実勢レートで一割程度キープ安になっている。決済や国内販売において外貨が使われているものの、本来的には外貨の使用や外貨による価格表示は違法であり、97年6月にもキープ使用を徹底させるための中央銀行総裁の布告注5が発出されている。
タイ・バーツや米ドル(さらに北部では人民元)の需要が高いのは、貿易取引の際に使われるためで、中国との貿易では人民元、タイとの貿易ではバーツの現金が多く使われていることが原因であると言える。さらにバーツや米ドルは、銀行を通じた各種決済(L/Cが多いと言われている)にも使われている。
(3)ミャンマー
ミャンマーでは、地域によって商品の品揃えに差がある。ヤンゴンでは密輸も含めて物資は船で運搬されてくるので、シンガポールやタイに加え日本や韓国の商品も多い。タイからの自動車輸出が少ないのは、ミャンマー人が日本製の日本車(中古ではあるが)を好むためである。市民のブランド志向はラオスよりも強い傾向にある。一方中国国境に近いマンダレーやシャン州では、国境貿易統計に見られるように綿製の衣類や家電など、中国製品の割合が高くなる傾向にある。またタイとの国境貿易における輸入ではタイヤとか自動車などの割合が高くなっており、実際に販売されていたり走っている自動車もタイ製が多くなるのだが、これはミャンマー国内の輸送体制と大きな関係があり、ヤンゴン港からの輸送が難しい地域での消費を支えるために国境貿易が活用されている事例である。
ミャンマー北部には雲南華僑が多いが、市街地には大きな雲南会館や寺院があり、マンダレーが彼らの活動の中心地となっていることがうかがえる。マンダレー駅の裏手には布や衣類などを売る市場があるが、大半はラーショー経由で入ってきた中国商品である。
さらにヤンゴンを離れて、国境に近いシャン州のチャイントウンでのケースを紹介したい。ここにいるシャン族は、タイ族・ラオ族と近い関係にあり、先住のシャン族は彼らから「タイ・ヤイ(大タイ)」と呼ばれている。このような関係であるからタイとの交易が盛んであるが、中国国境の方がタイ国境よりも近く、ここも雲南華僑の勢力圏にある。タイ商品と中国商品の棲み分けは、価格(品質)と嗜好の違いにより決まり、繊維製品、ビール、リンゴ等一部の果物は中国製品、ジュース、調味料はタイ製品、石鹸等の日用品、電気製品に関しては、低級品が中国で中級品がタイとなっている。中国人とビルマ人の嗜好の違いにおいて、華僑の経営努力がうかがえるおもしろいエピソードがある。チャイントウンに一軒、喫茶店注6にパオシュェー(肉まん)を卸す店があるのだが、ここは当初中国風のものを販売していた。ところが客からの評判が芳しくなく、ビルマ風にするためにカレー粉を入れたところ大変好評になって、街全体の喫茶店で出されるパオシュェーを一手に引き受けているという。
さてミャンマーでは、外国通貨の使用が禁止されているにもかかわらず外貨需要が高いため、やみ両替が行われることが多い。ここ数年はFEC(外貨兌換券)注7の使用が広まり、一時ほどやみは目立たなくなったが、外貨、特に米ドルの需要が高いことに変わりはない。しかし、この地域では米ドルの価値は低く、ヤンゴンの八割程度の価値しか有していない。これは決済が周辺国通貨になっているため、米ドルの需要が極めて低いことに起因している。米ドルのヤミ両替市場も無に等しく、FECであればヤンゴンでチャットに交換し、米ドルであればタイでバーツに交換するという。
街で売られている輸入商品と代金の決済は以下のようになる。国境から離れている街の商人は、店で販売するための商品を国境や貿易の中継地点に出向いて仕入れるが、この場合はチャット現金で決済される。チャイントウンのように国境まで近いところでは、国境を越えて仕入れを行うことが一般的だというが、その場合は、国境周辺の「両替商」から人民元やバーツを調達してから商品を購入しに行く。国境地帯では両替組織が存在し、為替ディーラーの役割を果たしているが、彼らの情報網は密であり、相場などの情報も速く、かつ、正確に伝達される注8。
(4)タイ
基本的に工業製品については、あらゆる分野の商品を自国生産品でまかなえるため、周辺国からの輸入に頼る必要はない。中国やミャンマーの商品などが国境地帯で販売されているが、おみやげの域を出ていない注9。
中国商品が受け入れられない理由としては、商品のセンスのなさにある。パッケージの見栄えがしない中国商品は、多少価格が安くてもラオス人と同じようにタイ人にも受け入れられない。中国からタイへ輸出しようとした場合、自国向けとは違った商品を開発する必要に迫られるであろう。人件費の安い雲南で商品を生産するというタイ企業が出るためには、確実な輸送ルートが必要であり、そのためにも道路等のインフラ整備が待ち望まれる。
隣接する国との国境貿易に関しては、ミャンマーとの交易においてチャットが使用されているものの、ラオスとの交易でキープが使われることはまずない。これは、それぞれの国での外貨使用と関係があり、ラオスの場合国内でもタイ・バーツが使われていることからキープが使われないためで、チャットの方が信頼があるというわけではない。またタイ−ミャンマー国境のタイ側でもチャットの両替が可能であるが、決してレートは良くない。
注1:中国人観光客で飛行機に乗れる人は、航空運賃が高いため限られており、一般には
バスを利用する。西双版納への飛行機は、ボーイング737が1日に3便程度飛んでいる。
注2:雲南省の投資受け入れ(95年)
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(単位:万USドル、出所:中国対外経済貿易年鑑96/97)
注3:陸路輸出されるタイ商品は、国内向け商品であることが多かったが、飲料などは輸
出向け商品が使われている。また医薬品などは、タイ国内で使われるものとは違う近隣諸国向け商品になっている。
注4:モンゴルでの販売商品
モンゴルは90年まではソ連邦からの輸入が多かったが、91年に激減(7.2億USドル→2.1億USドル)した。国民は物資不足に悩まされたが、92年には中国との貿易が活発化し(0.2億USドル→0.6億USドル)93年にピークに達した。しかし商品の質が悪く、モンゴル国民の中国製品離れが急速に進み、代わりに韓国製品が多く売られるようになっている。
注5:ラオス国内における外貨使用に関するコミュニケ(1997年6月24日、26日発表)の概要は以下の通り
注6:喫茶店
ミャンマーの喫茶店では、テーブルの上に常に数種類のお菓子や肉まん、サモサ(インド式揚げ物)が並んでおり、客は食べた分だけ代金を支払うことになっている。ミャンマーの人は、朝食を極甘ミルクティーとお菓子類で済ませることが多いが、朝だけでなく喫茶店では常に食べ物が食べられている。
注7:FEC(Foreign Exchange Certificate=外貨兌換券)
従来はチャットへの公定レートによる強制両替が存在し、公定レートで交換したチャットの金額と使用したチャットの金額を、FEC Form Iと呼ばれる1枚の紙に記載することによって、観光客の外貨管理を行っていた。しかしこれは、チャットを使用するたびに、フォームへの記載作業を行うため非常に不便であった。このため観光客の便宜を図る目的で、93年2月に紙幣タイプのFECが導入されたが、市中では実勢レートでの取引が行われたために、チャットの実勢レートによる取引が促進された。
FECから米ドルへの交換はできないことになっているが、FECを外貨口座に入金すれば米ドルで表示され、それを外国に送金することが可能であったため、次第に貿易決済の手段として使われるようになっていった。このため外貨不足のミャンマー政府は、97年7月にFEC入金による外貨口座からの外国送金を、月5万ドルに制限した。
注8:場所は違うが、91年11月にカンボディアのプノンペンで米ドルが24時間で3分の1に暴落する事件が起こったが、このような時でも街の両替商は常に的確な情報を得ており、どこでもレートは一緒であった(銀行の方がかえって取引を停止したりしていた。)。この為替情報は、両替商の元締めから日に何回も流れてくるとのことである。
注9:北部タイのメーサイやメーソットには観光客が訪れるが、彼らを目当てにミャンマ
ーや中国製品が売られている。ミャンマー製品は宝石や装飾品類が中心だが、タナカーと呼ばれる化粧品やタバコ(セーレイッと呼ばれるミャンマー風葉巻)なども売られている。中国製品は懐中電灯や電池などの電気製品や薬品、石鹸といった生活で使うものが多い。
5.今後の関係強化の見通し
(1)発展のための条件
当該地域が急速に結びつきを深めてきた原因として、各国の開放政策があるわけだが、それ以外にも治安が安定してきたことと、隣国との関係が良好になってきたことが挙げられる。
特にミャンマーにおいては、反政府少数民族の活動が盛んであり、その拠点となっていた国境地域は政府の力が及ばず、交易も非合法であった。それが89年から94年までに、カイン(カレン)族以外の14の反政府少数民族勢力と和平協定を締結しており、国境貿易を阻害する要因は少なくなってきている。
ラオスにおいても反政府ゲリラや強盗の類が国内に出没していたが、道路整備が進むに連れて活動が沈静化しつつある。
政治的関係では、国境線の取り扱いを巡って多少の問題が発生することは今までもあったが、各国政府とも地方開発の観点からも交易の活発化を支援しており、人為的な阻害要因は少なくなるであろう。またADBのプロジェクトに見られるように、国の枠を超えた事業が進みつつあり、もともと民族的にボーダーレスであったこの地域の関係強化が進み、経済的にもボーダーレスとなる傾向が強まるものと見られる。
地域相互の経済関係、人的交流が活発化してきたとは言え、現状では国境貿易における商品の流通量が少ないためにタイの商品が中国で、または中国の商品がタイで流通することは少ない。今後物流が盛んになっても、果たして本当に相互に購入する商品があるのか、中国人は自国の安いものを買い、タイ人は自国のブランド品を買うということにならないのかという疑問が残る。しかし投資家にとっては輸送ルートが確保され、市場の規模が大きくなればそれだけ投資のメリットが増すので相互乗り入れが可能となる可能性は高いと言えよう。
今後の開発に際しては、資金調達をどのように行うかという問題が残っている。文化的、歴史的なつながりが大きいとは言え、当該地域だけでは資金が不足している。ADBが計画している当該地域の道路改修事業だけでも16億USドルに達し、外からの資金なしに開発を行うことは不可能であるが、安定した資金流入のためにも地域の安定と開発計画の明確化は不可欠と言えよう。
(2)交易条件の変化
現在の貿易取引は、人民元やタイ・バーツの現金決済で行われることが多い。
今後インフラ整備が進み、交易が活発化し、1回あたりの取引量が増大してくると、現金による決済では安全面、資金調達面から支障が出てくるものと思われる。その場合、決済の手段として銀行を用いるケースが増大してくるであろう。
まとまったロットが見込まれるラーショーやマンダレーなどのケースでは、このような取引の「近代化」が進むことが予想されるが、チャイントウンのように市場規模が小さいところでは、小ロットで臨機応変に対応できる、現在の現金決済の方法が生き残るものと考えられる。従ってミャンマーの場合、国内流通網整備も交易方法に大きな影響を与えるであろう。
ラオスの場合も、国内流通網が整備されて貿易のロットがまとまるとともに、国内における外貨使用が減少しない限り、銀行決済の方法はとりにくい。
両国とも自国金融機関に対する信用が低く、金融機関も与信管理などができないために金融機関の利用割合が低いので、地域経済活発化のためには、道路などのインフラ整備だけでなく、金融システムなどソフト面でのインフラ整備が必要不可欠であると言えよう。
[参考文献]
"Greater Mekong Subregion -Seventh Conference on Subregional Economic Coperation-" ADB 1997年4月
「雲南省与周辺国家交通辺貿跨国旅遊指南」 人民交通出版社 1997年1月
※この文章は、97年8月に作成しました。